星期二, 5月 15, 2007
游錫堃 1 生い立ち
photo by Rico Shen
游錫堃(1948年4月25日— )
(日本語読み:ゆうしゃくこん、ピンイン:Yóu xíkūn、英語表記:Yu Shyi-kun)
台湾宜蘭県冬山郷太和村出身の政治家。現民進党主席、呂秀蓮、謝長廷、蘇貞昌とあわせて民進党の「四天王」と呼ばれる。
生い立ち
* 幼少時、家はとても貧しく農業を営む。
* 19歳の時、羅東鎮※で夜間学校に通う。当時既に青年党に加入。
(※鎮=県の下の行政単位)
* 1985年、東海大学政治学部卒業。
* 政治にと関わりを持つようになると、すぐに民進党に加入。
* 2000 年に民進党が総統選に勝利するまでに、既に台湾省議員を2期8年と宜蘭県長を2期8年(1989年~1997年)を歴任。その間1994年から 1996年の間は行政院教育改革審議委員会委員を兼任。第二期県長時代、環境立県、観光立県、情報立県、文化立県が彼の主要目標であった。
* 1998年、台北市長陳水扁の要請を受けて、台北地下鉄理事長に一年間就任。陳水扁再選失敗の後、民心党主席林義雄の要請のもと民進党秘書長に就任。
* 2000 年5月20日、民進党が政権をとった後、中華民国行政院副院長に着任、行政院長唐飛を補佐する。しばらくして八掌溪事件の責任を取って辞任。総統府秘書長張俊雄が後を引き継ぐ。行政院副院長退任後、游錫堃は商業への従事を考えていたが、数ヵ月後、張俊雄の後を継いで中華民国総統府秘書長に就任。また、台北市北投区関渡の国立台北芸術大学伝統芸術研究所副教授も兼任。
* 2000年10月、唐飛が行政院長を辞職し、張俊雄が引き継ぐ。
* 2002年2月1日、内閣改造により中華民国行政院長に就任。
* 彼は民進党政権における在任期間最長(07年8月現在)の行政院長であり、期間はまる3年。在任中漁会、農会信用部の騒動により三度陳水扁に辞職を申し出た。
陳水扁が再選を果たした後、彼は大幅に内閣を改造し、任期を半分以上過ぎた県長及び市長を留任させた以外は、親しい部下を登用した。
後に民進党が国会で過半数を取れなかったため、再任されなかった。
2005年2月1日、中華民国総統府秘書長に転任。
* 2005年12月、民進党主席蘇貞は県長市長「三合一」選挙で敗れた責任を取って辞職した。
游錫堃は総統府秘書長辞任を辞任し、党主席補選に立候補すると発表した。
* 2006年1月15日、民進党第11回第二次主席補選の結果が発表された。游錫堃は25397票を以て蔡同榮の16846票の翁金珠の4406票を圧倒し、民進党党主席に当選した。
(07年8月現在)
メモ
生平 生い立ち
卸下 xiè xià 荷を降ろす
從商
兼任 jiān rèn
辭去 cí qù
閣揆 gé kuí 行政院長
足足 まる/ちょうど
風波 fēng bō
延攬 yán lǎn
親信 親しい部下
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