星期六, 6月 21, 2008

蔡英文



蔡英文(1956年8月31日-)[cài yīng wén:さいえいぶん]

 台湾の学者および民主進步党に籍を置く政治家。「二国論(中国と台湾が特殊な国と国の関係にあるとした論文、李登輝が発表)」起草に参加、2000年に民進党が政権を取った後、行政院大陸委員会(陸委会)主任委員に就任。2004年民進党入党、同年全国比例区から立法委員に当選。2006年行政院副院長に就任。派閥体質の民進党において派閥色のない蔡氏は、清潔なイメージも手伝って一部のメディアからは「小龍女」[1]あるいは「白玫瑰」の愛称で呼ばれる。現民進党主席(2008年6月現在)。

[1] 「小龍女」...著名な作家、金庸の武侠小説「神鵰俠侶」の女主人公の名前。孤高の存在で、独世俗的な汚れを持たない清廉なキャラクター

生い立ち

 屏東県枋山郷楓港出身。屏東客家の望族に属する。実家はかなり裕福で、父親の蔡潔生は、彼女が小学4年のとき、台北市の中山区中山北路と新生北路に少なからぬ土地を購入。国立台湾大学法律系を卒業後、米国コーネル大学法科大学院で法学修士を取得、また英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得した。帰国後経済部国際経済組織の主席法律顧問、国立政治大学、東呉大学法律系所、国際貿易研究所の教授を歴任。

 90年代後期から中華民国国家安全会議の諮問委員に招聘され、二国論の起草に参与し李登輝総統(当時)に重用される。民進党政権となり、陸委会主任委員に就任し両岸(中台)政策を担当。2004年に請われて民進党に入党、2004年中華民国立法委員選挙で比例代表区から名簿第6位で立候補し当選。2006年1月に行政院副院長に就任。

民進党主席

 2008年4月17日、蔡英文は民進党の主席選挙に立候補を表明、蔡同栄、辜寛敏の両氏との争うことになる。5月18日、民進党主席選挙において73865票を獲得し、辜寛敏(48882票)および直前に事態を表明した蔡同栄(6530票)を下して第十二代民主進步党主席に当選。民進党史上初めての女性主席の誕生となった。

 5月20日、正式に民主進步党第12代主席に就任。5月21日、「希望」と題して就任演説を行う。

星期日, 6月 15, 2008

蕭万長



蕭万長(1939年1月3日-)[蕭萬長:萧万长:xiāo wàn cháng:しょうばんちょう、Vincent Siew]

 現任の中華民国副総統。2000年の総統選挙に国民党から連戦氏とペアで副総統に立候補し落選。さらに2007年6月23日、国民党の総統候補、馬英九氏に乞われ、2008年総統選挙でも再び副総統候補として立候補し、当選を果たす。常に笑顔を絶やさないことから「微笑老蕭」(スマイリー・ヴィンセント)の愛称で呼ばれる。


1939年1月3日、5男2女の三男として日本統治下の台南州嘉義市に生まれる。
1951年嘉義市大同国小を卒業
1957年嘉義中學高中部を卒業
1957年-1965年国立政治大学外交系、大学院

1978年、台湾とアメリカが断交した際,「永久最恵国待遇」を得るための談判に国貿局副局長として渡米した。

1993年と94年、行政院経済建設委員会(経建会)主任委員在任時、2回にわたりアジア太平洋経済協力会議に中華台北代表として出席。

1994年、台北市長選に国民党から蕭万長を立候補者にとの声が聞かれたが、当人に意欲はなかったことに加え、世論調査でも勝算は低く、友人の宋楚瑜などから反対されたこともあって、参選せず。(台北市長には陳水扁氏が43.7%の得票率で当選)

1995年、第3期立法委員選挙に故郷、嘉義市から立候補。民主進步黨の蔡同栄氏を敗って立法委員に当選。のちに行政院長に就任したため、立法委員を辞職した。これによる立法委員補選では先に蕭万長氏に敗れた蔡同栄氏が当選。

1996年末、李登輝総統(当時)が招集した「国家発展会議」では、国民党を代表して民進党との協議を行った。

1997年、連戦内閣が総辞職し、蕭万長氏が後を継いで行政院長に就任した。任期中の両岸(中台)政策は「戒急用忍(急がず忍耐強く)」。

1998年、行政院長任期中に金融不安が起き、東隆五金、禾豊集団、国揚実業、台中企銀、順大裕など上場企業株が突然紙切れに変わる「地雷株」となった。

1999年末、国民党の指名を受けた連戦総統候補のペアとして蕭万長氏は副総統候補となる。

2000年、国民党は総統選に敗れ、政権交代となり蕭万長氏は行政院長を辞職した。また、この年蕭万長氏は国民党副主席に任命される。

2005年3月、「世代交代」を理由に国民党副主席を辞任し、国民党中評会主席団主席に就任。

2006年、世界経済について解説する年代新聞のテレビ番組、「藍海年代」の司会を務める。

2007年6月、経済的なバックグラウンドおよび中台に広い人脈を持つことを買われ、国民党の総統選立候補者、馬英九氏の要請を受けて再び副総統候補となる。

2008年4月12日、「両岸共同市場基金会董事長」の名義で中国・海南省で行われる「ボアオ・アジア・フォーラム」に参加し、その中で胡錦濤中国国家主席と会談。「両岸融氷之旅」と題した今回の行程を蕭万長氏は「正視現実,開創未来,擱置爭議,追求双贏」(現実を正視し、未来を開く、争議を置いて、双方の利益を追求)と今後の中台関係を16文字で表し、中台の経済、政治に新たな局面をもたらす決意を示した。

星期五, 1月 11, 2008

蒋孝厳



蒋孝厳(1942年5月2日—)[蔣孝嚴:蒋孝严:jiǎng xiào yán:ㄐㄧㄤ3 ㄒㄧㄠ4 ㄧㄢ2:しょうこうげん]
 もとの名を章孝厳、中国国民党所属の立法委員(国会議員)、元中華民国外交部長(外相)。

 蒋孝厳と章孝慈は元中華民国総統、蒋経国とその情婦、章亜若との間に生まれた双子の兄弟。二人は抗日戦争時代、中国の桂林にて出生。蒋経国はすでに蔣方良と結婚していたため二人は私生児として母親の章姓を名乗ることとなった。しかし、名は蒋経国の他の子女と同じく「孝」の字を取っている。

 1972年8月、章亜若が何者かに殺害され、兄弟は章亜若の弟、章浩若とその妻、紀琛によって育てられた。この叔父と叔母は戸籍上二人の実の父母として記載されていたが、2002年正しく改められた。国共内戦時、二人は母方の祖母、周錦華とともに台湾新竹に移住。国立新竹高級中学を卒業後、東呉大学に入学。

 1974年から1977年まで中華民国駐米ワシントン大使館に勤務。この期間ジョージタウン大学で理学修士の学位を取得。

 蒋孝厳と妻、黄美倫には娘、惠蘭、惠筠と息子萬安がいる。


キャリア

 1996年6月10日から1997年10月20日まで、中華民国外交部長を担当。任期中に断交となった国は、ニジェール、バハマ、セントルシアの3カ国で、南アフリカもまもなくの断交を発表した。断交国数は当時の外交部長では比較的多いものだった。(要ソース)

 中華民国総統府秘書長を担当時、芸能人の王筱嬋とのスキャンダルにより辞任。


 2006年1月、民進党政権の中華民国政府によるリビアとの関係発展をみた蒋孝厳は新聞に投書し、リビアを「軍事独裁国家」、「国民党時代なら見向きもしなかった」と批判し、リビア元首のカダフィー少佐の国際的評価も国内として、民進党政府は「貧するとも相手を選ぶべき」との考えを述べた。
 4カ月、陳水扁総統がリビア訪問した後、アメリカとイギリスがリビアと国交を回復。リビアはその数年、欧米各国との間で協調を達成し、その関係を大きく改善していた。とくにイギリスは3月25日、ブレア首相自らがリビアを訪問しており、中華民国外交部の試みは「相手を選ばない」やり方ではなく、蒋孝厳の批判は明らかに世界情勢の変化を捉え切れていなかったと言える。

 2006年4月6日、台北市長選の中国国民党予備選に出馬するものの、形成不利とみて撤退。

 2001年より台北市南区および北区から第5次および第6次立法委員に当選。別々の選挙区からの出馬は、台北市長選を念頭に置いたものとみられたがそれは叶わなかった。2008年中華民国立法委員選挙が小選挙区制となった関係で、台北市第3選挙区(中山区および松山区=雙山)での立候補となった。

2005年3月、正式に姓を蒋と改め、子女も将来これに従うと宣言した。

プロフィール

性別: 男
政党: 中国国民党
籍貫: 江西省南昌市
出生: 1942年5月2日
学歴: * 東呉大学外文系卒業 (1964年)
* 米ジョージタウン大学修士 (1976年)
* ブリュッセル自由大学研究生
キャリア:* 外交部北米司(薦任)科員(1971年-1974年)
* 駐米大使館(三等)秘書(1974年)
* 駐米大使館(二等)秘書(-1977年)
* 外交部北米司科長(1978年-)
* 外交部北米司專門委員
* 外交部北米司副司長(-1980年)
* 北米事務協調委員会副秘書長(1981年11月-1982年6月)
* 北米事務協調委員会秘書長(1982年6月-1982年9月)
* 外交部北米司司長(1982年6月8日-1986年10月24日)
* 外交部常務次長(1986年10月24日-1990年2月17日)
* 中国国民党中央委員会委員(1988年)
* 中国国民党中央委員会海外工作会主任(1990年)
* 外交部政務次長(1990年8月24日-1993年3月5日)
* 外交部研究設計委員会主任委員(1990年10月19日-1993年3月5日)
* 行政院青年輔導委員会委員(1990年11月15日-1993年5月7日)
* 行政院文化建設委員会委員(1993年2月27日-1997年)
* 僑務委員会委員長(1993年2月27日-1996年6月8日)
* 僑務委員会僑務工作研究促進委員会主任委員(1993年2月27日-1994年)
* 行政院大陸委員会委員(1993年3月11日-)
* 中国国民党中央常務委員(1993年)
* 外交部部長(1996年6月8日-1997年9月1日)
* 行政院国軍退除役官兵輔導委員会委員(1996年8月8日-1997年)
* 国民大会(第三次)代表(1996年-1999年)
* 行政院副院長(1997年9月1日-1997年12月10日)
* 中国国民党中央委員会秘書長(1997年)
* 行政院消費者保護委員会(兼)主任委員(1997年)
* 総統府秘書長(1999年11月18日-1999年12月22日)
* 総統府資政(1999年12月23日-2000年5月20日)
* 大華投信公司董事長(2000年-)
* 中華国家発展協会理事長(2000年-)
* 中国国民党中央常務委員(2000年-)
* 中国台商発展促進会理事長(2001年-)
* 立法院(第五次)委員(2002年-2005年)

資格: * 甲等外交領事人員特考合格(1978年)