星期日, 6月 15, 2008

蕭万長



蕭万長(1939年1月3日-)[蕭萬長:萧万长:xiāo wàn cháng:しょうばんちょう、Vincent Siew]

 現任の中華民国副総統。2000年の総統選挙に国民党から連戦氏とペアで副総統に立候補し落選。さらに2007年6月23日、国民党の総統候補、馬英九氏に乞われ、2008年総統選挙でも再び副総統候補として立候補し、当選を果たす。常に笑顔を絶やさないことから「微笑老蕭」(スマイリー・ヴィンセント)の愛称で呼ばれる。


1939年1月3日、5男2女の三男として日本統治下の台南州嘉義市に生まれる。
1951年嘉義市大同国小を卒業
1957年嘉義中學高中部を卒業
1957年-1965年国立政治大学外交系、大学院

1978年、台湾とアメリカが断交した際,「永久最恵国待遇」を得るための談判に国貿局副局長として渡米した。

1993年と94年、行政院経済建設委員会(経建会)主任委員在任時、2回にわたりアジア太平洋経済協力会議に中華台北代表として出席。

1994年、台北市長選に国民党から蕭万長を立候補者にとの声が聞かれたが、当人に意欲はなかったことに加え、世論調査でも勝算は低く、友人の宋楚瑜などから反対されたこともあって、参選せず。(台北市長には陳水扁氏が43.7%の得票率で当選)

1995年、第3期立法委員選挙に故郷、嘉義市から立候補。民主進步黨の蔡同栄氏を敗って立法委員に当選。のちに行政院長に就任したため、立法委員を辞職した。これによる立法委員補選では先に蕭万長氏に敗れた蔡同栄氏が当選。

1996年末、李登輝総統(当時)が招集した「国家発展会議」では、国民党を代表して民進党との協議を行った。

1997年、連戦内閣が総辞職し、蕭万長氏が後を継いで行政院長に就任した。任期中の両岸(中台)政策は「戒急用忍(急がず忍耐強く)」。

1998年、行政院長任期中に金融不安が起き、東隆五金、禾豊集団、国揚実業、台中企銀、順大裕など上場企業株が突然紙切れに変わる「地雷株」となった。

1999年末、国民党の指名を受けた連戦総統候補のペアとして蕭万長氏は副総統候補となる。

2000年、国民党は総統選に敗れ、政権交代となり蕭万長氏は行政院長を辞職した。また、この年蕭万長氏は国民党副主席に任命される。

2005年3月、「世代交代」を理由に国民党副主席を辞任し、国民党中評会主席団主席に就任。

2006年、世界経済について解説する年代新聞のテレビ番組、「藍海年代」の司会を務める。

2007年6月、経済的なバックグラウンドおよび中台に広い人脈を持つことを買われ、国民党の総統選立候補者、馬英九氏の要請を受けて再び副総統候補となる。

2008年4月12日、「両岸共同市場基金会董事長」の名義で中国・海南省で行われる「ボアオ・アジア・フォーラム」に参加し、その中で胡錦濤中国国家主席と会談。「両岸融氷之旅」と題した今回の行程を蕭万長氏は「正視現実,開創未来,擱置爭議,追求双贏」(現実を正視し、未来を開く、争議を置いて、双方の利益を追求)と今後の中台関係を16文字で表し、中台の経済、政治に新たな局面をもたらす決意を示した。

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