
王金平(1941年3月17日-)[wáng jīn píng:おうきんぺい:Wang, Jin-Pyng]
台湾高雄県路竹郷出身、現任の中華民国立法院長。
台南一中初中部および高中部を卒業、その後国立台湾師範大学数学系に入学。卒業後、省立彰化進徳中学で教育実習を行う。しかし兵役終了後、家業の食品工場に就職し、輸入関係の業務を担当する。
1975年末、高雄県工業会理事長を務めていた王金平は国民党地方党部に見いだされ、推薦を受けて第2次立法委員増員選挙に立候補する。家族と高雄県工業会の影響力は大きく、19万票の高い得票で立法委員に当選。1993年2月1日、王金平は第2期立法員副院長選挙への立候補者として指名され、高い得票で当選。1999年2月1日には立法院院長に当選。
王金平は1990年に国民党中央政策会副主任委員に就任し、党の政策決定で中心的な役割を果たすようになる。1991年からは立法院工作会主任および党団書記長も兼任し、立法院における国民党を代表する政治家となる。1992年に党中央常務委員に当選、2000年に国民党が政権を失った後、党副主席に就任。野党となった国民党において5院の長である王金平は同党では最高位の公職に就く人物となった。
王金平は国民党内の台湾本土派を代表する人物で、南部地区および低所得者層で強大な支持基盤を持つ。ただし李登輝元総統との関係が密接なため、統一派からはやや不信感を持たれている。2005年3月、連戦主席(当時)が再選を目指さないことを正式に宣言したため、王金平は国民党主席選挙に立候補する。選挙の相手となった馬英九は人気こそ高かったものの、王金平もその政治手腕を高く評価されており、党内各派閥や長老たちとの関係も良好だったことから、侮れないとみられた。しかし2005年7月16日に実施された中国国民党主席選挙の結果、馬英九が大差をつけて王金平を敗った。その後王金平は馬英九の要請を拒否し国民党副主席を辞職した。ただし、王金平はその際中国国民党の永久ボランティアとなると宣言した。
国民党陣営が立法員で新版中央選挙委員会(中選会)組織法を決議しようとした際、民進党側はこれを違憲としてボイコットすべきと見なした。2007年1月19日、立法院における与野党の乱闘はアメリカのケーブルテレビネットワーク、CNNのヘットラインとして報道された。民進党は議事進行をボイコットするためバイク盗難予防チェーンで扉を施錠して王金平を院長室に「監禁」した。これは議長が立法委員「監禁」された初めてのケース。
王金平のプロフィール
性別: 男
政党: 中国国民党
本籍地: 台湾高雄
出生: 1941年3月17日 (1941-03-17) (67歲)
日本統治下の台湾高雄州路竹荘
配偶者: 陳彩蓮
学歴: 国立台湾師範大学数学系卒(1963年)
経歴
* 高雄県工業会理事長 (1975年-1981年)
* 立法院(第一期増員)委員 (1976年-1993年)
* 中国国民党立法院工作会主任 (1991年-1993年)
* 中国国民党立法院党団書記長 (1991年-1993年)
* 中日国会議員聯誼会会長 (1992年-)
* 中国国民党中央常務委員 (1992年8月-2000年6月)
* 立法院(第二期)副院長 (1993年-1996年)
* 立法院(第三期)副院長 (1996年-1999年)
* 台湾プロ野球リーグ会長 (1997年-2002年)
* 台湾がん基金会董事長 (1997年-)
* 中華民国義勇消防総会理事長 (1997年-)
* 立法院(第四期)院長 (1999年-2002年)
* 中国国民党副主席 (2000年6月-2005年)
* 立法院(第五期)院長 (2002年-2005年)
* 立法院(第六期)院長 (2005年-2008年)
* 立法院(第七期)院長 (2008年-)
* 中国国民党政策会副主任委員
* 中華民国立法委員協会理事長
* 国家バイオテクノロジー医療発展委員会会長
* 中華民国バリアフリー推進協会名誉理事長